クライアント先の事務所で、スタッフ3人が別々のAIを開いていた
先月、あるクライアントの事務所に打ち合わせで伺ったとき、机に並んだ3台のパソコンの画面が目に入った。1台は無料版のChatGPT、1台はGemini、1台はブラウザ内蔵のAIチャット。3人のスタッフが、それぞれ自分の好きなAIを、自分の判断で使っていた。会社として「これを使う」と決めた形跡はどこにもなかった。
気になったのは、その中の1台の画面だった。顧客の名簿らしき一覧をコピーして、無料AIの入力欄に貼り付けようとしていた。悪気はまったくない。目の前の作業を早く終わらせたいだけだ。ただ、その一枚のリストがどこへ流れるのか、本人も、会社も、たぶん誰も把握していなかった。
帰りの車の中で、これは特殊な現場じゃないな、と思った。むしろ、AIを「入れた」と言っている会社ほど、中で起きているのは同じ光景なのではないか。そう感じて、その週のうちに公的な調査を読み直した。数字は、想像していたよりはっきりしていた。
「個人任せ64.9%」——導入したかより、決めているかだった
商工中金が2026年1月に行った調査によると、生成AIの利用を「個人任せ」にしている企業が64.9%にのぼった。つまり、会社として使い方を決めず、社員それぞれの裁量に任せている状態が、いまの多数派だということだ。会社が主導して導入・推奨している積極活用層は、およそ3割にとどまる。
足を引っ張っている理由も見えている。同じ調査で、推進する人材がいないと答えた企業が32.0%、ルール整備が追いつかないと答えた企業が25.1%。人がいない、決まりがない。この2つが、AIを会社の力に変えきれない主因になっている。
一方で、中小機構が2026年3月に公表した調査では、AIの導入率は20.4%。導入した部門は総務・管理部門が68.3%で最も多く、目的は業務効率化・作業時間の短縮が87.0%を占めた。数字を並べると、ひとつの構図が浮かぶ。入れるところまでは進み始めた。けれど、会社として使い方を決める段階で止まっている。
導入率20.4%という数字は、これまで何度も語られてきた。けれど本当の落とし穴は、「入れたかどうか」ではなく「会社として決めているかどうか」の側にある。とくに個人事業主や小規模の会社ほど、人手が足りない分だけ、現場の一人ひとりに判断が丸投げされやすい。決めていない状態は、放っておくとそのまま固まっていく。
個人任せのまま進むと、静かに3つのコストが積み上がる
「みんな各自で使っている」状態は、一見すると自由で、前向きに見える。実際、最初の数週間はそれで回る。問題は、目に見えないところで3つのコストが溜まっていくことだ。
ひとつめは、情報が漏れるリスク。冒頭の顧客名簿のように、社外に出してはいけない情報が、判断のないまま無料ツールへ流れる。ふたつめは、品質のバラつき。同じ会社なのに、AIに書かせた文章のトーンも精度も人によって違い、お客さんから見た会社の顔がぶれる。みっつめは、属人化。「あの人しかそのAIの使い方を知らない」状態が生まれ、その人が抜けた瞬間に業務が止まる。
もう少し具体的に想像してみる。ある日、スタッフの一人が見積書のたたき台をAIに作らせたとする。速い。助かる。けれど金額の桁がひとつずれていて、そのまま送ってしまった。あるいは、別のスタッフが顧客からの問い合わせ返信をAIに書かせたら、うちが扱っていないサービスを勝手に案内していた。どちらも、悪意ではなく「各自が良かれと思って速く動いた」結果として起きる。個人任せの怖さは、誰も悪くないのに事故だけが起きることにある。
どれも、事故が起きるまで表に出てこない。だからこそ、まだ何も起きていない今のうちに、会社としての最低限のルールを紙1枚で決めておくほうがいい。難しい規程はいらない。決めるのは、次の3つだけでいい。
会社として最初に決める、3つのルール
ここから、実際に現場へ落とし込める3つのルールを1つずつ書く。順番にも意味がある。上から決めていくと、抜け漏れが起きにくい。
事故が起きるまで自由に見える。
紙1枚で線を引いた会社から、
AIは静かに戦力に変わる。
ルールは「縛り」ではなく、任せるための土台
3つのルールと聞くと、AIの使用を制限する話に聞こえるかもしれない。実際は逆だ。線引きがあるから、社員は迷わずAIを使える。「これは渡していい」「本番はこのツール」「最後は人が見る」と決まっていれば、一人ひとりが安心して速く動ける。決まっていないから、慎重な人ほど使えず、勢いのある人ほど危ない橋を渡る。
そして、この3つは一度決めて終わりではない。会社の業務が変われば、渡していい情報の範囲も、主役のツールも変わっていく。SUICSがふだんクライアントと組むときも、まず今の業務の流れを一緒に書き出し、どこにAIを入れて、どこは人が持つかを分けるところから始める。ツールの話は、その後だ。順番を「ツールが先」から「業務と決めごとが先」に入れ替えるだけで、同じAIでも成果がまるで変わる。
AIを最初に入れる部署の選び方は 「AIを最初に入れる部署は“総務”だった」 記事、最初の1業務の選び方は 「中小企業のAI導入率20.4%・最初の1業務の選び方」 記事も参照してほしい。
「会社としてどう決めればいいか分からない」と思ったら
3つのルールは、紙1枚で自社だけでも作れる。ただ、いざ書こうとすると「うちの業務だと、どこまでを渡していい情報にすべきか」「主役のツールは何を基準に選べばいいか」で手が止まりやすい。そこは、業務そのものを一度ほどいて並べ直す作業だからだ。
SUICSのAI/DX診断では、いきなりツールを勧めることはしない。まず御社の業務を一緒に棚卸しして、人が持つ判断とAIに任せる作業を仕分けし、そのうえで3つのルールを御社仕様に落とし込む。個人任せで散らばっていたAIの使い方を、会社の型として1本にまとめるところまで伴走する。
やることの順番は、いつも同じだ。今の業務を書き出す、渡していい情報の線を引く、主役のツールを1本決める、最後に人が確認する役割を残す。派手なツールを探す前に、この地味な4手を踏んだ会社だけが、AIを事故なく戦力に変えていける。64.9%が個人任せのままでいる今は、逆に言えば、先に型を作った会社が一歩抜け出せる時期でもある。まだ何も起きていない今日のうちに、紙1枚から始めてほしい。